ヤニス・バルファキスによるアダム・スミスへの言及を検証してみた【欲望の資本主義2022】
目次
はじめに
先日「欲望の資本主義2022」を観た。
その中で、ヤニス・バルファキス*1がアダム・スミスについて述べていた箇所があった。友人に言われて、その言及が正しいのか検証しようと試みたので、記録しておく。(検証と言うにはお粗末ではあるが)
結論から言えば、「バルファキスのスミス理解は概ね正しい」と思われる。
ヤニス・バルファキスのアダム・スミスに関連する発言箇所の要約
バルファキスは、スミスに関連して大きく以下2つに言及している。
①スミスの株式会社批判
- 匿名の株主(anonymous shareholders)に所有されている公開有限会社(public limited companies) = 株式会社への反対
- 株式が匿名で取引される流動的マネーのようになると、資本が集中していく(独占資本主義批判)
②スミスの市場観
- スミスの想定していたのは、貨幣市場や労働市場抜きの「市場」
- ファーマーズマーケットのようなコミュニティ市場
- 人民の人民による人民のための「市場」(顔の見える非匿名的なイチバのような?)
バルファキスのスミス理解の検証
①スミスの株式会社批判
スミスは『国富論』の中で、概ね以下のようなことを述べている。*2
- 株式会社は、取締役会によって運営される。
- 取締役会は、株主の統制を受ける。
- しかし株主は、会社の業務に責任を持って考え行動することなどない。
- 株主は、苦労も危険負担も免れられる(有限責任)旨味につられた投資家である。
- 株式会社には、合名会社(無限責任)なら自分のお金を投じない大勢の人々が投資するため、巨大な資本が集まる。
- 株式会社の取締役は、自分の金ではなく、他人の金の管理人となる。
- そのため合名会社のように、自分ごととして経営することは期待できない。
- 株式会社には、怠慢と浪費がつねにはびこる。
- 株式会社は、排他的特権なしでは、ほとんど成功しない。
- 自力で成功する能力がないため、排他的特権を維持し独占しようとする。
(要するに、スミスは「所有と経営の分離」の問題を論じている)
これは、バルファキスのスミスへの言及とかなり整合するのではないかと思われる。
②スミスの市場観
上述の株式会社論から、スミスは「ちゃんと自分の事業のことを考え行動する、ある程度顔の見える個人(組織)同士がやりとりを行う場」を「市場」として想定しているように思われる。
そのため、「スミスが想定していたのは人民の人民による人民のための市場なのだ」というバルファキスの解釈には、ある程度同意できる。(「ファーマーズマーケットでのトマト取引」まで素朴ではないにせよ)
これは『国富論』で唯一「見えざる手」が出てくる部分の話とも関連する。(別の機会に記事にしようと思うが、スミスは「絶対に間違えない経済人」とかじゃなくて「ちゃんと自分ごととして考えようとする人」を前提に議論しているのがわかる)
おわりに
いまだにスミスへの誤解が経済評論家や経済学者によって喧伝されているのを見かける。(最近も見た。世界的ベストセラーらしい)
そんな中、バルファキスのスミスへの言及は、間違っていなさそうということがわかり、好感が持てた。
この記事を書いて、より知りたくなったのは「スミスが想定していた市場ってどんなものだったんだろう?」ということだ。
誰かヒントを知っている人が居たら、教えて欲しい。
バルファキスの言うような素朴な「ファーマーズマーケット」だったんだろうか。
それとも、別の何かだったんだろうか。
あとスミスの株式会社論についてもう少し知りたくなったので、以下を国立国会図書館から遠隔複写で取り寄せる。(現在は混んでいて3週間程度掛かるらしい)
若田部昌澄「アダム・スミスの株式会社論—分業・所有・企業者精神—」、『早稲田政治経済学雑誌』、312号、1992年
ちなみに「欲望の資本主義2022」で一番びっくりしたのは、世界三大運用会社であるブラックロック、バンガード、ステート・ストリートの話だ。*3
バルファキスによると、「90% of companies listed in the New York Stock Exchange belonged to three companies」だそうである。
こちらも機会があれば調べてみようと思う。
参考文献
アダム・スミス『国富論Ⅲ』(大河内一男監訳)、中公文庫、1978年
榎並洋介「アダム・スミスの株式会社論」、『星薬科大学一般教育論集』、23号、pp.19-57、2005年
平川克美『株式会社の世界史—「病理」と「戦争」の500年—』、東洋経済新報社、2020年
*1:1961年アテネ生まれ。経済学者、政治家。元ギリシャ財務大臣。2018年には米国上院議員バーニー・サンダースらと共にプログレッシブ・インターナショナル(Progressive International)を立ち上げた。
*3:3社の運用額などをまとめているブログ
【インデックス投資】世界3大運用会社- 「ブラックロック」「バンガード」「ステート・ストリート」 | UX BEAR【ゆえっくま】
『経済学史 経済理論誕生の経緯をたどる』目次
野原慎司・沖公祐・高見典和(2019)『経済学史 経済理論誕生の経緯をたどる』日本評論社
古代から現代までをこのレベルで取り扱っている類書はあまりないと思う。
内容紹介
どのような時代的必要にせまられ、経済理論が生まれたのか。理論の概略にふれつつ、18世紀から現代までの経済学説史を追う。
目次
第1部 古典派経済学を中心として
第1章 古代・中世の経済認識
第2章 重商主義
第3章 重農主義
第4章 古典派経済学の形成:アダム・スミス
第5章 古典派経済学の展開:リカードウ、マルサス
第6章 古典派経済学の完成:J・S・ミル
第7章 大陸経済学の形成:フランスとドイツとオーストリア
第2部 変革期の経済学
第8章 マルクス学派の始まり:マルクスのポリティカル・
エコノミー批判
第9章 一般均衡理論:ワルラス
第10章 イギリスの限界革命:シャボンズとマーシャル
第11章 マルクス学派の展開
第12章 20世紀前半の需要理論:ムア、ヒックスとアレン、サムエルソン
第3部 現代の経済学
第13章 20世紀半ばの計量経済学:フリッシュ、ティンバーゲン、
コウルズ委員会
第14章 ゲーム理論の始まり
第15章 20世紀半ばの一般均衡理論
第16章 行動経済学の由来:期待効用理論からプロスペクト理論へ
第17章 有効需要論の発展:ケインズとIS-LMモデル
第18章 経済成長理論の歴史:ソローを中心として
渋沢栄一とアダム・スミス
目次
はじめに
この記事では、「日本資本主義の父」渋沢栄一が「経済学の父」アダム・スミスに言及していることを紹介する。
渋沢栄一
生年1840年(天保11年) 没年1931年(昭和6年) 享年92歳
『論語と算盤』で有名な渋沢栄一。「日本資本主義の父」と呼ばれる人物である。何百もの企業および社会公共事業の設立に関わった。二度ノーベル平和賞の候補になったことがある。
2024年度からの新一万円札の顔となることが決定したニュースを覚えている方も多いと思う。大河ドラマの放映も決まっており、現在ホットな人物である。
渋沢栄一について簡潔に知りたければ、2020年12月にポプラ社から出た漫画が読みやすい。
幕末・維新人物伝 渋沢栄一|コミック版 日本の歴史|ポプラ社
渋沢栄一によるアダム・スミスへの言及
そんな渋沢栄一がアダム・スミスに言及している資料を偶々みつけた。場所は東京都北区にある渋沢史料館(アクセス|公益財団法人 渋沢栄一記念財団)である。
渋沢は、ある講演で次のように述べていた。
「経済学の祖アダムスミスはグラスゴー大の倫理哲学教授で、同情主義の倫理学を起し、次で富国論を著はして近世経済学を起したと云ふことだが、利義合一は東西両洋に通ずる不易の原理であると信じます」*1
「富国論」とは『国富論 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』、「同情主義の倫理学」とは『道徳感情論 The Theory of Moral Sentiments』のことであろう。
この資料を見つけたとき、私は非常に嬉しかった。誤解され続けているスミス*2のことを、少なくとも「日本資本主義の父」は理解してくれていたからである。
渋沢栄一の道徳経済合一説
渋沢は、スミスへの言及箇所のすぐあとに自身の「道徳経済合一説」に触れている。
私は学問も浅く能力も乏しいから其の為すことも甚だ微少であるが、唯仁義道徳と生産殖利とは全く合体するものであるといふことを確信し、且事実に於ても之を証拠立て得られる様に思ふのでありますが、是は決して今日になつて云ふのではありませぬ。第一自分の期念が真正の国家の隆盛を望むならば、国を富ますといふことを努めなければならぬ。国を富ますには科学を進めて商工業の活動に依らねばならぬ商工業に依るには如何しても合本組織が必要である。而して合本組織を以て会社を経営するには、完全にして鞏固なる道理に依らねばならぬ。既に道理に依るとすれば其標準を何に帰するか、之は孔夫子の遺訓を奉じて論語に依るの外はない。故に不肖ながら私は論語を以て事業を経営して見様、従来論語を講ずる学者が仁義道徳と生産殖利とを別物にしたのは誤謬である。必ず一諸になし得られるものである。斯う心に肯定して、数十年間経営しましたが、幸に大なる過失はなかつたと思ふのであります。然るに世の中が段々進歩するに随つて、社の事物も倍々発展する。但しそれに伴うて肝要なる道徳仁義といふものが共に進歩して行くかといふと、残念ながら否と答へざるを得ぬ。或る場合には反対に大に退歩したことが無きにしもあらずである。是は果して国家の慶事であらうか。凡そ国家は其臣民さへ富むなれば道徳は欠けても仁義は行はれずともよいとは誰も言ひ得まいと思ふ。蓋し其極度に至りては、遂に種々なる蹉跌を惹起するは、知者を俟たずして識るのである。而して其実例は東西両洋余りに多くて枚挙するの煩に堪へぬ。斯う考へて見ますと、今日私の論語主義の道徳経済合一説も、他日世の中に普及して社会をして玆に帰一せしむる様になるのであらうと、行末を期待するのであります。*3
要するに渋沢は、自身が経営において論語から学び実践してきたこと(『論語と算盤』)と、スミスが言っていること(『道徳感情論』と『国富論』)を並べて「利義合一は東西両洋に通ずる不易の原理であると信じます」と述べたのである。*4
おわりに
私は渋沢栄一とアダム・スミスの接点を偶然見つけた。この偶然の発見を、まだ見ぬスミス好きの同志に共有すべく書き記した。
俄然渋沢に関心を持った私だが、次に気になるのは以下のことである。これについては、何か進展があれば記事にしたい。
- 原文を読んだのか
- 1.がNoであれば、誰の訳本を読んだのか
- あるいは読まずに、誰かのスミス評伝を読んだのか
余談:2021年2月から放送予定の大河ドラマ「青天を衝け」が非常に楽しみである。主演が吉沢亮さんなのも良い。